地域政党 薩摩志士の会

福沢峰洋の活動の原点

すべての人間は平等であり、貧しき者も富める者も、
人の命は平等でなければならない

恩師徳田虎雄先生より受け継いだ教えは、代表の理念として、常に活動の根底に存在しています。

「死の宣告を受けた生後2か月の赤ちゃん」

 彼女と福沢峰洋が初めて出会ったのは、2005年。友人である在フィリピンの日本人ツアーガイド志摩直人氏から、「小さな命を救ってほしい」という電話を受けたのが始まりでした。「死の宣告を受けた生後2か月の赤ちゃん」を取り巻く、フィリピンの医療事情は過酷を極め、余命半年の赤ちゃんでも、平気で強制退院させられるという現実に驚き、愕然としたのです。

 徳洲会にお願いすれば、何とかなる。日本に彼女を呼んで、手術を受けてもらえばいい。

 そう考えて、当時の千葉西病院の前田総長、宇和島徳洲会の黒江Dr.(小児循環器)の所見を仰ぐべく、彼女のカルテを取り寄せました。彼女の病名は、「総肺静脈還流異常」他。
気圧の関係で日本への飛行機による移動は赤ちゃんの心臓が耐えられない。船による移動も、1か月かかるため、赤ちゃんの体力が持たない。そう告げられました。

 その所見を聞いたとき、日本から医師を派遣しよう。そう決意したのです。

 日本にミカエラちゃんを呼ぶことができないのなら、日本の医師をフィリピンに派遣し手術を受けてもらえばいい。しかし、ここでも問題が発生しました。フィリピンの法律上、フィリピン国内で医師免許を持たない日本医師による手術は行うことができないのです。残された選択肢は、フィリピン国内でのフィリピン医師による手術のみでした。

 電話での打合せの中、またしても唖然となる出来事があありました。「医療パッケージ」というシステムです。手術・入院にかかる費用一式を一つの商品「パッケージ」として、料金設定されており、なにより驚いたのは、医師のランクによって、金額が「160万円」「120万円」「90万円」となっていることでした。

 チャイニーズゼネラルホスピタルの小児心臓医チャールズ・クアソ医師を指名

 悔いの残らないよう、一番信頼のおけるパッケージでの手術を望み、2005年4月8日。借り集めたお金を持参し、フィリピンへと渡り、ついにミカエラちゃんに初対面を果たしたのです。

理念は理解するだけじゃ意味がない

 貯蓄も信用もない、そんな状況でとてつもない決断をした、私の背中を押したのは、恩師の生き様でした。徳田虎雄先生の教えを受けた者の一人として、「とにかく目の前にある小さな命を救うためには理念の実行あるのみ」そう決意して、ミカエラちゃんとお母さんの笑顔に接したとき、「これで徳田理事長の門下生になれた」と清々しい気持ちになれたことを覚えています。

 「歴史とは不思議なものだ。あなたの行動は歴史的な意味を持つ」

 会見中、記者の一人からの言葉とともに、一冊の古い単行本を手渡され、とあるページを読むように促されました。よくわからないまま、赤ペンでマーキングされたそのページを読むと、そこには福岡県出身の旧日本陸軍兵の手記の一文が書かれていたのです。

 いくら戦時とはいえ、生まれたばかりの赤ちゃんでも平気で殺りくしてきた忌まわしい過去は、ずっと私を苦しめてきた。二度と戦争をしないために、生きている間に歴史の真実を語りたい。

 「Mr.福沢、何か感じないか?この兵士が赤ちゃんを殺りくしたバタンガス州リパ市は、実はこのミカエラちゃんが戦後60年目に生まれた地だ。60年の時を経て、この小さな町で一度もあったことのないあなたが、今度は、死の宣告を受けた赤ちゃんを救う。これこそ歴史的なことだ。」

 その記者の言葉に、恩師のおっしゃっていた、「無償の愛」の尊さ、「自己犠牲を伴う実践が本当に困っている人々の喜びに変わり、そして意味を持つ。」そのことを身を以て体験できたことに気が付き、それは、人生の大きな財産となっています。

リスクを冒す必要のあること

 私は近年、尊敬する一人である幕末の思想家”吉田松陰”の本をよんでおりますが、松下村塾の門徒たちに向けて、「人にできることは”リスクを冒す必要のないこと”と”あること”を見分けることだけでしょう。それを見分けるのが、”知恵”というものです。しかし、”リスクを冒す必要のあること”が判ったとしても、それを行う”勇気”がなければいくら知恵があってもあまり意味がありません。勇気を奮って正面から、”リスクを冒す必要のあること”に向かっていく時、多分人は、心の底から”おもしろい”と感じることであろう」と教えていたとあります。

 勿論、好んでリスクに近づくのは愚かなことですが、世の中というのはとても不思議な仕組みになっていて、”安全”と思っていたところに”リスク”が潜んでいたり、その逆に”リスク”の向こう側に”安全”が横たわっていたりするものなのです。それを見通すことは、”神ならぬ人”にはなかなかできません。

 人の世には、”リスクを冒す必要のあること”がわかっていても、勇気がなく、”逃げること”や”ごまかすこと”が癖になっている人が多い。そういう人は、まず自分の人生を”おもしろくない”ものにしているのは他人ではなく自分であることに気付くべきです。そもそも他人に依存して自分の人生を”おもしろいもの”にしてもらおうというのは、ずいぶんと甘えた、ものの考え方ではないだろうか。

「おもしろきこともなき世を おもしろく 棲みなすものは 心なりけり」

「今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人になりにし 道を踏めかし」

地元記事にて紹介

フィリピンの地元新聞紙各社にて、福沢の行動が記事になった

[日本語訳]

瀕死の状態にある生後2ヶ月のミカエラ

これはハッピーエンドで終わるであろう、涙をそそる物語だ。
 生後2ヶ月のミカエラは瀕死の状態にいる。彼女は心臓に空いた三つの穴のせいで(それが彼女の呼吸を困難にしているのだが)、 9月までの命と診断されている。その結果、彼女は母親のジョミシル・アグアの母乳を飲むことができない。 3.7キロのか弱い赤ちゃんは点滴を通してしか栄養を摂取できない。 シングルマザーのアグアは、緊急に必要なミカエラの外科手術の費用百万ペソをどのようにして準備するか途方にくれていた。
 看護師の資格を持っている彼女は、介護士として海外で働き、手術のためのお金を稼ぐことを望んで、 フィリピン海外雇用庁へ行った。彼女が自分の名前が呼ばれるのを待っていたとき、 日本人とフィリピン人の夫婦が、彼女の青ざめた悲しい表情に目を留めた。
 彼女の赤ちゃんの事情を知ったシマ夫婦は、助けを申し出、彼らの友人であるビジネスマン・慈善事業家である福沢峰洋氏へ彼女を紹介した。 福沢氏は躊躇なく治療に掛かる全費用を引き受けることを申し出た。

 この日本人の博愛家は、

「今回の行為は、全ての人間は平等であり、貧しきものも富める者も、人の命は平等でなければならないという信念に基づいた徳田イズムの一部なのです。」

 と言う。

聞き入れられた祷り

 「私は、今回の我々の行為が公表されることを望みません。私が望んでいることは、ただ助けることのみです。ここには多くの裕福な人々がいます。しかし、特に大金が関わる時、あえて援助しようとする者は、ほんの僅かしかいません。」と、福沢氏は指摘する。
 ミカエラの手術は、小児心臓医であるチャールス・クアソ医師の手で明日、チャイニ―ズ総合病院で予定されている。日本および近隣諸国を飛び回る超過密日程にもかかわらず、福沢氏はわざわざミカエラを見舞った。ヘルスセンターの地域ネットワークの可能性の一つとしてフィリピンを考えているようだ。母と子供、ジョミシルとミカエラ・アグアが、援助の約束を申し出るために來比した彼らの恩人、福沢氏に会う。赤ちゃんミカエラは手術を受けるために百万ペソを必要とし、それをビジネスマンである福沢氏が引き受けることを約束した。

タイムスタンプ

2005年3月14日:フィリピン志摩氏から電話
小さな命を救ってほしい。小児循環器の手術について日本での手術を希望
ミカエラの父親は病状を知り誕生後に失踪
2005年3月15日:フィリピンからカルテ及び依頼文をFAXしてもらう
先天性心室中核欠損症 他
2005年3月18日:千葉西H.Pにて前田総長・宇和島徳洲会 黒江Dr.(小児循環器)に相談 
気圧の関係で国外渡航は無理との見解 (総肺静脈還流異常)
2005年3月23日:余命半年の命と死の宣告を受けていることを知る
本人及び母親の写真・カルテがメールで送られてくる。
祖父母は孫ミカエラの手術代捻出のため、自宅を売却する意向(日本円で30万)
2005年4月6日:志摩氏から電話
胸部が腫れて、苦しい息づかい
口唇にチアノーゼ反応ありとの症状報告
近くのクリニックへ緊急入院をすすめる
2005年4月8日:マニラダイヤモンドホテルにてミカエラちゃん他家族と面談
入院費用100万ペソ(日本円210万円)及びベビー用品をプレゼント
記者会見(TV,新聞含む5社)PM20:40 CH4にて放送(70秒)
2005年4月9日:地元新聞4紙に記者会見が掲載
フィリピンより帰国
2005年4月11日:現地マスコミ(新聞)に関連記事
数日後ミカエラの父親が家族の元へ戻る
検査のためチャイニーズゼネラルホスピタルへ入院 担当医Dr.クアソ
(循環器系においてフィリピン第一人者、海外でも執刀)
2005年4月18日:マニラ渡部氏よりメール
ミカエラの体重 3.6kg → 4.1kg
ミカエラ退院後体調悪化
地元クリニックで肺炎との診断
入院するも完治せず
2005年4月26日:志摩氏から電話。
ミカエラちゃん4/25(月)一時的に退院
実家のバダンガス州へ帰宅
継続入院を勧められるが母親の希望にて退院
肺炎はほぼ完治
体重 3.9kg → 4.9kgに増加
5.5kg以上の段階でオペが可能
2005年5月2日:フィリピン志摩氏より電話
6日に病院へ行く予定
2005年5月12日:ミカエラちゃん体重 4.9kg → 4.5kgに減る
実家近くのクリニックへ通院
2005年5月19日:ミカエラちゃんの体重が増えずに通院中
2005年5月21日:ミカエラちゃんの体重が5kgに増える
28日に入院、30日にオペをする予定である
2005年5月23日~25日:ミカエラちゃんの実家(バダンガス州リパ市)訪問
レストランにて再会 手術打ち合わせ
チャイニーズホスピタル Dr.クアソ訪問
ダイヤモンドホテルにて医師団夕食会
2005年5月29日:四役会議後、宇和島HP黒江Dr.と相談
(病名)総肺静脈還流異常他
2005年5月30日:黒江Dr.より図解FAXあり。
その後、郵送にて着。
2005年6月8日:状況が思わしくないので病院と連絡を取り緊急入院
チアノーゼ・呼吸困難
2005年6月9日13時12分:フィリピン志摩氏より電話
第1回目手術成功 ICUにて経過観察
2005年6月16日:徳田虎雄政経塾開催時募金102,617円+100,000円(鈴木)+300,000円(福沢)退院費用計50万円送金
ミカエラの母ジョミシェルよりお礼のメールあり
2005年6月23日16時12分:フィリピン志摩氏から電話「本日、無事退院」
2005年6月24日11時00分:フィリピン志摩氏よりメール「ミカエラ入院時・退院時の写真」
2005年6月24日16時10分:電話にて経過報告受ける「家族全員に笑顔が戻った」との事
2005年6月29日:Mr.TAN氏よりシンガポールへ招待
見返りを求めない「無償の愛」についてシンポジウム
2005年10月26日:フィリピンにて面談
17時30分:マニラダイアモンドホテルにて再会
19時00分:徳洲会マバラカットツアー一行 懇親会に出席(家族4名)、写真撮影
募金(当日7万、新居浜青洲HP 10万、計17万円)及びベビー服を贈呈
2005年12月24日:クリスマスカード届く
2006年1月6日:HAPPY NER YEAR!!
1月21日はミカエラ1才の誕生日のお知らせ
2007年:数回に渡りメールにて写真を受け取る
ミカエラ業況報告
2008年1月28日:ミカエラ通院費用 日本円(約20万)の申し入れあり
翌29日送金
2008年2月8日:ミカエラ現況報告及び通院費送金のお礼をメールで受け取る
2009年10月25日:ミカエラ及び祖父、祖母と電話で会話。
母ジョミシェルは米国にて看護師として勤務中とのこと

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